ライブと「場」と観客と
この記事はmast Advent Calendar 2020 - Adventarの14日目の記事です。
13日目はMasato Sugiyamaさんの記事です。
因みに自分も実名の名前はMasatoの読みです。martというHNはここから決めてたりします。
自己紹介
HNの由来から入りましたが、「mart」と申します。mast20、ほぼ概念と化している1年生です。以後お見知りおきを。
所属サークルはつくバーチャル、げんしけん(レビュー班)、298プロ(アイマス研究会)
そして、学実委(ステ管)、クラ代にも一応参加しております。いっぱいですね。
まとめると「VR上でもリアルでも、舞台関係に興味がある、mast20に住む2次ドルヲタ」、みたいな所です。
さて、何かと頭の中で考えるのは好きなタイプなので、「何か書けるやろ~w」みたいなノリで今回Advent Calendarに登録した次第です。が、さっぱり筆が進みませんでした。この辺りで自分の過去の実績がわかる様なTwitterのリンクでも貼れたら良いのですけど、胸の張れる実績はありません。開き直りました。強いて言うなら、
まさかキャラモデの勉強の為にCOMIC BA◯EL買うとは思わなかった、いや勉強ですよあくまで、はい
— mart_(出汁) (@dashi_725) 2020年12月4日
こんな事をしてる人です。人(2次元キャラ)の身体を確認するのに良さそうだったからですね。建前ではないです。
正直、普通に参考になったので変な心持ちになってました。
あとはVRサークルのつくバーチャルにて、Vket5のサークル展示のステージを作ってたりしました。気になった方は是非開催期間にスペースへどうぞ。12/19から入れます。
とまぁ、何もかもやり始めの身です。中学高校何してたの?って言われると泣きます。泣きませんけど。結局、自分の中である程度固まっていた考え方があったので、ここに置いておくことにしました。ライブの話です。(誰得?)
今回は、参加の経験上、ライブの中でもアイドルのもの。かつ2次元アイドル(アイマスとかラブライブ!の様な)のものを話題として扱います。
なお、超☆個人的見解ですので、「こんな考え方もある」程度に軽く見てやって下さい。
アイドルライブの観客
さて、「アイドルライブ」というもの、参加したことはあるでしょうか。
今回は観客の方に注目するため、イメージとして動画を載せたかったのですが、大きな会場の、客席からの動画は、撮影が禁止されてることが殆どなので無いのですよね。という訳でPVを載せておきます。
会場の雰囲気はこの通りで*1、参加すると、周りの観客たちが曲が始まるや否や立ち上がり、ペンライトを振り、曲中にはコールを叫ぶ様子を観測することが出来ます。
私が初めて実際に参加した際は、ライブが行われる会場ではなく映画館にて中継されているのを見るLV(ライブビューイング)でしたが、それでも予想以上の(野太い)声量に驚いた記憶があります。
その後、コールを調べ、周りに合わせて打ってみると……、これがとんでもなく楽しい訳ですね。とんでもなく。
ただ、このコールであったり、ペンライトの色、というものは、基本的にファンの有志が設定し、定着していきます。
言ってしまえば、「観客が勝手にやっていること」でもあります。
慣れてきた頃、演者を見に行ってるんだか観客を見に行くんだか少々わからなくなった時期がありました。わからなくなっても結局行くんですけれども。
そんな時(?)、ある一冊の本に出会いました。
「場」
「ダンス・クリティーク─舞踊の現在/舞踊の身体」─尼ヶ崎 彬(2004)、「舞踊」に対しての論説本になります。
出会いは高校の現国の授業でした。先生の好みもあるとはいえ、色々な作品に出会える国語の授業はやはり楽しかったですね。話が戻しまして、この「ダンス・クリティーク」の一節にはこうあります。
─ フロアの状況をみながらDJが音楽を選び、それによって踊り手たちが要求されている「ノリ」を知り、それに能動的に自己の身体を同調させていくとき、そこには自己組織化された生命体が立ち上がる。それは(略)音楽や雰囲気を含めて波のようにみずからうねる「場」というべきであろう。(略)場の全体が生命体として動き、個人はその一細胞であることに快感を覚える ─
ある音楽、その共有されている間に、観客の中で、あわよくば演者も巻き込んで「場」が生成され、その「場」への帰属を感じた時、充足感を得られるということです。
例に挙げられているのはDJの話ですが、ライブに対しても当てはまると思います。
観客がペンライトを振る様子は、より視覚的に波と捉えられますし、コールの揃う一体感は「場」と同調しているからこそ、ということになります。
更に、「場」は一定の規律を持ちます。特に日本においては、その「場」の許容を超えた存在は、淘汰される傾向にあります。行き過ぎた行動は「場」へ大きな影響を与え、注目の移行を引き起こし、その「場」の人々は変化に「戸惑い」を覚える訳です。ライブにおいては、「荒らし行為」と称されること全般がその例ですね。
また、ライブの「場」は、しばしば西欧発のオペラ・コンサートと比較されます。現代のマナーを考えればわかりやすいと思います。演奏中は沈黙を保ち、終わりと同時に拍手等を以てリスペクトを表します。演者と観客の境目がハッキリとした「観賞」です。
個人的には、1人でそのライブのBlu-rayを見る時にも「観賞」の度合いが強いですね。
対して、会場でのライブ体験は、規律があるとは言え、場に「干渉」し、属することが出来ます。「場」から見ると、そこに演者と観客の境目が無い様に思える訳です。
「観賞」と「干渉」の違いですね。上手いと思います(???)。
詰まる所、先の「演者を見に行ってるんだか観客を見に行くんだか」という疑問には、「う~ん、どっちも!」という解答が得られました。ある対象を意識する際には、普遍している「場」から随時ピックアップしていく形になります。
VRライブ
そんなこんなで、「会場でオタク達とコールするのたのしい!!!!!!!!」と裏付けも経て、卍現地最強卍信者になり果てていた頃、世間ではVRを使ったライブ表現がちらほらと出てきました。中でも話題に挙がったのが、バーチャルアバターが(画面上に)至近距離で写される、所謂「ガチ恋距離」でした。
正直なところ、「モニター画面いっぱいに顔が映った所で……」と半信半疑でしたが、実際にVRを通じて見ると一転「これはヤバい」となりました。
そこに居るんですよね。美少女が。
「場」の感じを考えると、「観賞」のそれではあるのですが、「自分」という存在は消えてはいません。(かと言って今はまだ「干渉」具合は少ないのですが)
その上に「自分」が「演者」ともなり得ます(VRchatとか)。不思議なものです。
また、どこにいても、同じ会場を体験できる「VRライブ」というものは、これまでの根底をひっくり返せるものだと思います。
インタラクションがより多様になれば、また別の「場」が生まれるのではないかと期待していたりします。
まとめ
「場」という考え方は、勿論ライブに限らず、様々な場面で考えることが出来ます。「場」を考えると、ある程度自分を客観的に見ることも出来ます。
さて、現在はコロナ禍で、観客を動員してのライブの開催は依然逆風のままです。大きなキャパで開催が発表されたものもありますが、多くは「声出し禁止」「前後の集会禁止」と従来とはまるで違う形式になっています。自分を含めて観客達の見方はどう変わるのか、と考えると面白いですね(?)。
ということで、14日目『ライブと「場」と観客と』でした。
「観賞」と「干渉」、上手いことを残して(??)今回はここまでとしたいと思います。
駄文も駄文でしたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
追記
2つのアドベントカレンダーの担当を同じ日にしてはいけない(教訓)
— mart_(出汁) (@dashi_725) 2020年12月9日
複数のアドベントカレンダーを同じ日に登録しない様にしようね!(戒め)
*1:PVは加工されているため、実際の客席の声はもっと大きいです